温故知新 水墨名画鑑賞5 山元春挙 「澗流香魚」
前回に続いて山元春挙の水墨作品をもう1点。
今の季節にぴったりの鮎の絵です。
鮎の捕まえ方はもちろんですが、その鮎が登場する舞台となる渓流の表現が実に洒脱です。ドウサかなにかで、笹と水しぶきを白抜きにして、墨を流しただけでみごとな渓流を作り出しています。
この潔のよい美しさ、見習いましょう。
水墨画家 篠原貴之の日々。
前回に続いて山元春挙の水墨作品をもう1点。
今の季節にぴったりの鮎の絵です。
鮎の捕まえ方はもちろんですが、その鮎が登場する舞台となる渓流の表現が実に洒脱です。ドウサかなにかで、笹と水しぶきを白抜きにして、墨を流しただけでみごとな渓流を作り出しています。
この潔のよい美しさ、見習いましょう。
この絵は山元春挙の瀑布図ですが、昭和初期の古美術商の競売のカタログの中で見つけた作品なので、真贋の程は分かりません。
内容から見て春挙以上に腕のたつ人が春挙を名乗ることはまずないと思われますし、私にとっては誰が描いたものでも名画は名画なので、紹介したいと思います。
この絵に引きつけられたのは構図の妙です。
滝は人気のあった夏の画題で、様々な滝が描かれてきましたがこの滝はちょっと他のものとは違います。
立ち物の長い掛軸では、画面の上中下と視点を変えて描くことが多いのですが、この絵は上から見下ろす一つの視点で描いています。鋭い角度で覗き込むことで長い画面を視点を変えずに全てを見せているのがとても現代的です。
水(滝)の表現を見て下さい。具体的な形は何処にも出てきません。落下する水、舞い上がる飛沫のようなものを水墨の滲むような動きを使い、感覚的に表現しています。
黒い岩や草の鋭い質感で爽やかな滝の白さ際立たせ、主題の水は何も描かずに表現しています。
説明的な形は草だけで、滝の清涼感をこんなにうまく表現できるのです。とても現代的でおしゃれな作品だと思いませんか。
今回は大徳寺の牧谿筆「観音猿鶴図」のうちの一幅「猿候図」をみてみましょう。
描かれているのは、親子の猿と一本の木だけです。果てしない宇宙に、たった2匹の猿が生き残ったかのような、静謐な孤独感の漂う不思議な絵です。
2匹の猿から観てゆきましょう。子どもを何かから守るような姿勢、真っすぐにこちらを見つめる親猿、親にしがみつく小猿。この芝居のポーズのような姿勢が印象的で、また猿の顔にははっきりとした表情がなく「何だろう。何をしているんだろう。」と、一気に心をつかまれます。
老木はどうでしょう。画面の奥へと伸びる樹の配置が、最高にきいています。老木は2匹の猿がうまく乗るように木の配置を考える中、こういう形に落ち着いたんだと思いますが、木立を上ではなく画面の奥へ向わせたことで、猿の周りに広がる無限の空間を感じさせます。枝も四方八方に伸ばし、木を一本配するだけでみごとに空間を満たしています。
彫刻のように立体的に展開するこの木立の表現は,この絵の最大の魅力です。
私は以前彫刻をしていたのでよく分かるのですが、作者の筆使いは、あたかも立体的な題材がすでに画面上に在り、それを触るように描いています。これはまさに彫刻家のモデリング(粘土で形を作ること)です。
水墨の使い方を見てゆくと、墨色を猿を濃墨、木立を淡墨でシンプルに描き分けています。何げなく描くと老木の左下の葉をもっと濃い墨で描きたくなるところですが、ここにアクセントを付けず枝と同じ淡墨で描いておくことで、全体としての絵の静けさを保っています。
とはゆえ、猿以外のこれだけ広い画面を淡墨だけで描いてゆくと、すこし絵がぼけてしまいます。そこを老木に絡み付いた蔦の葉を濃墨で散らすことで、淡墨にメリハリを付けています。これは水墨画ではよく使う手で、梅の枝に芽のような黒い点を打つのと同じ役割です。また垂れ下がった蔦は、イメージとしてもひと気のない荒涼とした雰囲気を演出するのにも役立っています。
質感の描き分けも見所です。猿は毛描きで線に密度を持たせ残った白場も顔以外淡墨で染めています。。一方老木は大きな筆の側筆でスピード感のある渇筆で描き、白場はほぼ残したままです。
最後に画面の上下から背景に入れたぼかしは、木立の枝等の配置とともに、ポイントの猿周辺に丸く余白が残るように考え施されています。これにより猿に視線を集め、この2匹の猿だけでも絵がもつように広い画面を絞り込んでいます。
素朴な柿の絵で有名な牧谿ですが、この絵では、彼の筆力、造形力を存分に見せてくれています。
私の描く作品は、イタリア等ヨーロッパをモチーフにしている印象が強いかと思いますが、絵づくりにおいては日本や中国の古典絵画にヒントを得て描いています。
温故知新 水墨名画鑑賞 と題し私の好きな作品を紹介し、描き手の立場から、その作品の非凡な表現を観てゆきたいと思います。
絵を、描き手の視線で観たり、新しい創作のヒントになれば幸いです。
第一回目は 円山応挙「大瀑布図」です。
この絵は全長3.5メートルに及ぶ応挙の大作です。瀧をスケッチしたことがある方は、よくお分かりになると思いますが、瀧そのものを描くのは構図的にとても難しい画題です。上から下まで落下する水を入れなければ瀧になりませんが、遠くから見て瀧全体を画面に入れると小さくなってしまい、水飛沫をあげ轟音が山にこだまする瀧の迫力が失われてしまいます。しかし、近づいて迫力のある波やしぶき等滝のディテールに迫ると細長い滝と言うイメージが出ません。そこをこの絵では、画面下半分を激しく波打つ滝壺にあて瀧の迫力を出しながら、同時に短くなってしまった画面上半分の瀧を、滝壺に岩を配して水面を細く見せ、滝壺と続けることで、全体として見ると画面の上から下まで長い瀧になっているように見せています。構図の工夫で、瀧の長さと迫力という相容れないと思われた二つの要素を、見事に描き切った瀧の名作です。
長い掛軸に仕立て、軸を壁から床に垂らし,垂直面から水平面に移り変わる画面を利用する発想から生まれた構図なのでしょう。
滝は上半分までで短いが、滝壺とともに全体として細長く見え、滝のイメージを保つ。
(部分)臨場感のある滝壺の波、水しぶきの表現で迫力を出す。
白い水に黒い岩と、単調になってしまいそうな墨色の調子においても様々な工夫を見ることが出来ます。左右の岩の中ほどを明るくすることで、水と岩との調子のコントラストを弱め、瀧を岩の間に閉じ込めてしまうのを避けています。この部分を黒くしてしまうと、瀧が小さく見え、また絵が平板になってしまいます。黒く見えている岩もよく見てゆくと、水との境目だけを濃く描き、水の白さを際立たせています。
そして、水から離れるほどに淡くなることで岩の立体感を出し、また画面が不要なまでに黒くなるのを避けています。
水においては、画面の上下に少し墨を入れ岩とのコントラストを弱くすることで、画面中ほどの水の白さが際立ち、視線が自然にそこへと向います。画面が長い上に、画面の上下で視点が違うため(下;見下ろす、中;正面に見る、上;見上げる)、絵が上下に分かれてしまうのを、視線を中央に向けることで統一しています。
また滝壺の水を石の配置で右からぐるっと遠回りさせて、左手前に流したことで奥行を感じさせています。上半分の直線的で平板な壁のような滝に対し、下半分の滝壺で奥行を出すことで滝の全体の大きさを創り出しています。
といろいろな内容を語りながらも、最終的には松越しに真っ白な滝が涼しげに流れているといった期待通りの印象に落とし込んでいるのが、さすが人気作家の力量です。
見れば見るほど随所に施された工夫が見えてきて、「なるほど!」と絵描きも唸る名作です。
頼山陽史跡資料館 (広島県立歴史博物館 分館)
〒730-0036 広島市中区袋町5-15
Tel/Fax:082-298-5051
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